
企業組織といえど、やはりそれは人間の集まり。男と女がいて、女と男がいる。今日からしてみれば随分と以前の小説であるが林芙美子の「晩菊」に次のような一節がある。
『昔はエハガキにもなったあでやかな美しい自分の姿が瞼に浮かび、きんは膝をまくって、太股の肌をみつめた。むっくりと昔のように盛りあがった肥りかたではなく、細い静脈の毛管が浮き立っている。ただ、そう痩せてもいないということが心やすめにはなる。ぴっちりと太股が合っている。風呂では、きんは、きまって、きちんと坐った太股の窪みへ湯をそそぎこんでみるのであった。湯は、太股の溝へじっと溜まっている。ほっとしたやすらぎがきんの老いを慰めてくれた。まだ、男は出来る。それだけが人生の力頼みのような気がした。きんは、股を開いて、そっと。内股の肌を人ごとのようになでてみる。すべすべとして油になじんだ鹿皮のようなやわらかさがある。』
林真理子の『コスメティック 』 にはない生命の温もりを感じるのは、自分が老いの仲間入りをしたからだろうか。マネジメントの現場にはもっと生き生きとした恋愛の密かな息づかいがあるのも心得ている年にもなった。KBSにはまだない種類のケースをもう作ってもよいのだと思う。