「知的導火線」

研究すること、これが天職だと思っている。教育は研究成果を活かすためにある。留学時代の恩師から厳しく教えられたのは、自分の研究を創り出すこと。他の研究者の成果を理解したり紹介したりすることで止まっていてはいけない。他の研究(何も研究に限らず芸術でもよい)から自分の研究の創出に向け刺激を得ねばならない。そこから、小さい爆発、大きい爆発、いろいろと研究では起きてきた。その導火線になったもの。本であったり、映像であったり、あるいは人との会話であったり、を思い出しつつ書いていく。

昨年度はサバティカルであったのでMBAゼミ生を持たなかったが、今年度は6名のゼミ生を持って修士論文作成(卒業研究)の指導をおこなった。毎年一歳ずつを年をとっていく自分にとって、毎年のゼミ生は(当たり前だが)毎年おなじ年齢である。自分は年をとっても目の前のゼミ生は毎年同じ年である。ときどきこのことを、若い生き血を吸うドラキュラみたいなものと例えることがあるが、研究者にとって毎年のゼミ生との研究活動はすばらしいものだ。

まだ論文審査が終わっていないので内容の紹介が出来ないが、すでにこの大晦日までに6名とも研究を完成させている。私自身の研究活動にとって若い人々の研究成果は新鮮で刺激的だ。せめて彼等の研究テーマだけでもここに紹介する。

・「トップリーダーを育成する仕組み—資質・経験はどのように考慮されるべきかー」
・「緊急時にリーダーの統率力は必要か」
・「世襲経営者のマネジメント能力-創業者一族・従業員・顧客・地域についてのマネジメント-」
・「ソーシャルメディアが企業内組織へ与えるインパクトについての考察〜日本企業はソーシャルメディアとどう向き合うべきか〜」
・「企業内研修を設計するガイドラインの作成を試みる~日本の終身雇用企業におけるホワイトカラーへの「定型配給型」企業内研修体系をいかにリ・デザインするか~」
・「自社の競争優位を確保する為の日本企業独自の人材マネジメントシステムの改良・変革の取り組みの分析を通じた一考察」

組織行動学を専攻する者にとって、隣接領域である心理学の最新の研究成果を知っておくことはとても大事だ。そう思いつぎの本を手にした。[心理学研究法4 発達」 (山口真美・金沢創編著、誠信書房、2011)。この本の中で「教授からのメッセージ」に書いた幼児虐待のサルの母娘間伝播の観察研究を知った。もともとこの本は研究方法を説くものである。精密に設計した観察研究が実施できれば多くの成果が上がる。組織行動研究でも可能のはずである。

2年程前のこの項に、数年に一回、私の頭が知的爆発すると書いた。10日程前に再び爆発した。その知的導火線の元をたどると「散逸構造―自己秩序形成の物理学的基」(ニコリスとプリゴジーヌ著、岩波書店)にたどりつく。自己組織性の研究を始めたのが20年程前。その頃に難解なこの本を手にしていた。自己組織システムにとってエネルギーの流入と散逸が必要であることがようやく理解できたのは、この本を手にしてから20年経っている。

先日、この爆発の進行途中で、ある大手企業のマネジャーとメールのやりとりをした。そのマネジャーからのメールはおおむね「自社の組織では多くの社員が閉塞感を感じているが、他社ではどのようか?」という質問であった。私からの返事は単刀直入に「人の入れ替わりがなく、かつ業容が大きくならない、じり貧、の場合に共通して現れる課題」と書いた。再び送信されて来たマネジャーからの返事には「冷や汗をかく思いでメールを読んだ」とあった。私の指摘が的を射たのであろう。この返答をした時の私の頭の中には、「システムにとって外部からのエネルギー注入が低下している状態」という発想があった。散逸構造が示している考え方に導かれている。

詳しくは現在執筆している本の最終章になる計画である。出版されたらまたご紹介したい。

マザーテレサの言葉がたくさん残っている。中でも「たくさんの人々に奉仕することと、独りの時間を持つことは、同じように重要だ」というのが私にとって大事に残っている(正確にこの言葉どおりかどうか自信ないが)。最近のテレビでマザーテレサの映画を見て、彼女の仕事の中でこの言葉がとても大事であったのを確認したし、映画を見つつ、数年前に見た、やはりテレビのドキュメンタリーで本人の様子の映像や言葉を見たことも思い出した。今の自分にとって、たくさんの人々と接することは、同時に独りでいることの重要性を気づかせる。

このような書き出しをした今回の知的導火線は、スマートフォンを見て生活する人々が爆発的に増えたことを記そうとしているからである。スマートフォンはインターネットにつながった手のひらのパソコンと同じで、世界中の情報が手に入るし、ソーシャルメディアという言葉に代表される膨大な数の人々の書き込みが読める。そして本人もつれづれと、たわいないこと、あることを書く。

このスマートフォンのソーシャル機能は、それ使うその人間と、それを使う他の莫大な数の人間との間に、いままで経験したことのない新しい膨大な数の関わり(薄い場合も濃い場合)を創り出す。単純に言えば、たくさんの人と接する時間を長くする。

ということは、マザーテレサの言葉どおり、独りでいることの重要性を感じねばならないはずである。でもそれを自覚できている人は増えてないように思う。

広域地震津波被害、原発事故による放射能汚染、そして電力不足、と日本の産業力への長期的影響を及ぼす出来事がつづく。5年、10年のスパンで見ると、グローバル競争の進展の中で、日本の企業は自国の足下で強さを失いつつこの長期問題に対処していかないとならない。

この問題を組織研究者としてトップの育成と選抜の切り口で最近考えている。たしかに日本企業、なかでも大卒一括採用で組織を構成する比率がとても高い大企業は、ボトムアップで動く。トップにつくものが、極端にいえば、誰であってもあまり経営に差がでない。これを揶揄して日本企業には戦略がないと言われたりする。この状況のまま、上に指摘した今後の10年を見ると、もっとたくさんの、いわゆるトップダウンの経営が必要になるように思う。ボトムアップはそれなりの長所がある。でも短所もある。そこにもっとトップダウンを持ち込むべきでないのか。このように考えている。

さて、そのようなトップダウン経営が出来る経営者候補を企業組織内できちんと選抜、育成している日本企業はどれほどあるのか。公式制度でやっているところは少ないだろうが、非公式にはやっているのだろうか。

比較の対象に米国企業はどうであろうかと文献をさがして、先ず最初に目についたのが『ジャック・ウェルチ わが経営(下) (日経ビジネス人文庫)』。この第26章に、ウェルチが後継者候補をプールして育成し、最終的にイメルトを選抜するに至った様子が綴られている。後継者候補をプールし、育成(という目的で様々な困難な経営課題を担当させる)し、選抜する、というこの方式は、なにもGEに限ったものでなくおおかたの欧米優良企業ではなされているようである。

では、日本企業で、日本企業にふさわしい方式は何か、急いで研究せねばならない。

今回紹介する本は、購入したばかりでまだ読んでいないのだが、なぜ購入したのかを書いて、読んでみようと思われる方を増やしたいと思う。その本は「双極性障害のすべて—患者・家族・治療者のためのガイドブック」(キャッスル著、誠信書房)。

そもそも偏見は本質を正しく理解しないがために行う歪んだ、そしてほとんどは否定し、拒否する認識である。

先にたとえ話をする。犬や猫、牛でもよいのだが、それらの動物の表皮には色の異なるまだらの模様がある。模様のないものもある。これらの動物には模様があったり、なかったりで、それについて人間側はとくだんの普通以外の認識はしない。

これを人間が人間に対して行うと偏見が生じる。人間は顔に大きな色の異なる部分をもっている場合がある。ホクロであったり、アザであったり、ヤケドであったり外科手術のあとであったり。このようなものを顔に持たない人間が、それを持つ人間の顔を見るとき、多くの場合において偏見を持つ。昔風に言えば、たたりが顔に現れている、と。

この人物の顔の表皮には色素やしわ、引きつりが生じているだけである。これが真実なのだが、人間は人間の顔を見た時に、その顔に「意味」を与えてしまう。真実とは無関係の「意味」である。

これが顔でなく人間の心理状態についてでも同様の偏見を生じさせる。人間は心模様(嬉しい楽しい、悲しい沈んでいる)を持つ。ときどきこの上げ下げの激しい人がいる。その人に対してそうでない(普通の人は)共に生活することの難しさを感じ、偏見を持ち、離れようとする。

心模様の上げ下げの激しさはある度合いを越えた時に「双極性障害」という病気の診断を受ける。この病気を持ち、それとたたかい、その病気が脳の構造、生化学、遺伝などを本質的な下地に生じていることを書いた人がいる。その本が冒頭に紹介した本である。この真実を理解して病気を偏見なく理解したいと思う。この病気は精神病の1つである。精神病と聞いただけで偏見を持つ人の方が多い今の時代に、ぜひ読みたいと思う。

ネットワーク状の組織に関する研究をするようになって15年以上がたつ。ネットワーク状の組織、たとえばチーム組織には、従来のタテ割組織に比べて大きな強みがある。それは革新を生みやすくなることであり、創造的な成果が上がりやすいことにある。このことの理論的根拠を突き詰めていくとサイバネティクスと言うシステム理論にたどりつく。このシステム理論によれば、チーム組織の持つ強みは次のように説明される。

そのキーワードは「必要多様度の法則」である(*)。まず、あらゆるシステム(組織はシステムである)には、変化する環境の中にあってそれが生存し続けるために必要とされる条件がある。その条件は、そのシステムが内部に持つ多様度を、そのシステムが身を置く環境の多様度よりも、高くすることだ。多様度とは、そのシステムが生存するために環境の変化に対応できる多様なモノを生み出すこと、そのための様々なリソースのことである。組織内に多様なもの異質なもの(多様な人、異質な人)が存在しないなら外部から取り入れること、組織内に存在するならそれらの連結を高めることである。これを行うシステムは必要多様度の法則に従っているのであり、環境において生存することができる。すなわち市場が歓迎する革新を産み出すことができる。

少なくとも米国で先行したチーム組織の形成は、優秀人材を外から雇用しチームメンバー、チームリーダーとすることであり、そのチームは部門の縦割りを超えて有機的な業務連携を形成する。必要多様度の法則のとおりである。では、日本企業で行われるチーム活動はどうであるか。ここに研究のメスを入れねばなるまい。

(*「(サイバネティクス入門 (1967年)」 W.R.アシュビー著、篠崎武他訳、宇野書店、1967。この訳書では、原用語「Law of Requisite Variety」を「最小多様度の法則」と訳している。私は原用語の意味をそのままにして「必要多様度の法則」とした。)

このテーマの言葉は不思議に思える。自宅でないところで在宅になるとはどのようなことか。もともとは本の題名で、その不思議なタイトルとともに添えられていた言葉が本書を読むきっかけとなった。『自宅でない在宅―高齢者の生活空間論』 (外山 義著 2003年 医学書院) その言葉とは、老人施設などで、自らの意思で生きる方法を奪われ唯一の抵抗として老人は痴ほうになる、という意味合いの言葉であった。

本書は、大規模老人施設の設計があまりにも介護する側つまりサービスを提供する側の合理性にたって行われていることへの警鐘を鳴らすものである。同じようなドアが連続して列ぶ廊下、大人数で一度に食事をとるホール、これらはどれも認知力の低下したお年寄りにはなじみにくい。6人の合い部屋にはカーテンのしきりだけでベッドが列ぶ。それぞれのベッドでお年寄りはお互いに背を向けて時を過ごす。(これは描写ではない。精密な観察計画で行った調査が明らかにしていることである。)

一方の自宅ではどうであるか。お年寄りは、認知症段階に進めば進むほど、家族から特別扱いされ、残された自立生活部分までをも奪われていく。身近過ぎる家族は認知力を低下させたお年寄りに対して普段どおりの接し方ができない。

本書は、このようなお年寄りにとって、自宅と老人施設の中間のような建物の方が「在宅」しやすいと主張している。いまでこそよく使われる「グループホーム」という中間的な小規模老人施設を提案した最初の本だそうだ。

本書を読み終えてふと思った。KBSのケースメソッドの教室、グループ討議室などはあるいみビジネス社会の縮図になっている。といって、ビジネスの現場そのものではない。ある種の競争はあるが、現実ほどの危険度ではない。これも一種の中間施設なのだろう。

東北関東大震災。地震や津波の大きさは500年に一度とか、1000年に一度とか言われている。加えて福島原発で原子炉の制御が出来ないままになっていることが不穏な状況を呈し続けている。日本の国、つまり産業にとって、必要な電力が足りないまま数年を経過させねばならないであろう。それを念頭に復興や再建が進むのだと思う。

今回の災害の大きさが、終戦時の日本の国力の低下水準とどのように似ていて、どの程度同じなのかは自分には精密な判断ができない。唯一分かるのは、そのクラスに入る大きさの災害であり、そのクラスの大きさの国の復興活動が必要であろう、ということだ。
 
終戦後の日本の復興と、その後の高度経済成長があったことはよく知られている。じつはよく知られていないのは、その復興と成長を動かしたメカニズムは日本の政府の官僚機構であることだ。当時どのようなことが官僚によってなされたかの史実が、いわゆるGHQ文書として米国の国会図書館に保存されていて、その資料を日本の行政史の研究者が丹念に読んで解明した。(岡田彰、1994、「現代日本官僚制の成立―戦後占領期における行政制度の再編成」、法政大学出版局)。
 
この本の中心的なメッセージは、戦前から戦中にかけて形成されていた日本の経済制度や官僚制度が戦後に再活用され、日本の復興、そして高度経済成長を可能としたことにある。これを経路依存性と言う言葉で説明する学者もいる。
 
幸いにして福島原発の原子炉制御が成功し、東京電力に幾つかの発電不能原子炉があったままとなっても、やりくりしながらの復興の道を日本は進む。この時に作動するのが日本の官僚機構である。ここ数年の政治政党が好んで使った政治主導ではない。
 
私は断定形でこの文章を書いているが、断定形を使うことに躊躇しない程に上の研究は優れているし、将来に向けて同様にメカニズムがはたらくであろうことを経路依存性は十分に説明する。であるなら、日本の官僚機構の短所を知り、長所を知って官僚機構を動かすべきである。それらを知っているのもまた官僚である。十分に知るだけの時間が戦後と高度経済成長の時期から経ているし、智恵を蓄えてきたことを信じたい。
 

オンライン雑誌に寄稿することになり、ここ数年の研究テーマである「日本の大企業の終身雇用」について、組織の強みや弱み、とるべきリーダーシップのあり方など、現時点までにたどりついた考えを綴るようになった。その第1回で次のように書いた。

「終身雇用を与件とした日本の企業の特徴はなにか。その一つは、日本の大企業の組織は「内部進化」――内部にいる人が工夫を加えるという形でしか進化しないということではないだろうか。通常、自然界であれば、進化にはもう一つパターンがある。他の種と交わることで、新しい遺伝子が交り合い、新しいものが生れるという進化である。

終身雇用が与件であり、ほとんど外の血が入ってこないとすれば、グローバルに打って出た場合にも、グローバルな競争力を身につけるには、内部進化するしか方法がない。経験したことのない世界に出て行ったときに、外部世界が要求するものを創り出す仕組みを、内部進化の仕組みとして持っていないと、対応できないということになる。

ただし、内部進化は放っておくと、自分の進化の方法しか知らない「我流」になる。我流なのだから、よその進化の方法は知らない。そこで我流による進化は、時々恐ろしい結果を2分の1の確率で引き起こす。それは我流で進化した結果が、外部環境に適応できるようになっているか、いないか。そのいずれかであるかは、進化した後にしかわからないということだ。進化した後に、内部進化だけではやっていけないと気づいても実は手遅れで、そういう会社は淘汰される。一方、幸いにも勝ち抜けるように進化した会社は、勝ち続けられるが、それは運任せに近い。

そもそも自分のどの部分が、外部環境に適応しているかどうかは、外部と接触して初めてわかる。だからこそ、いかに外部と接触していくか、それを経営の仕組みとしてどう取り込み、どう内部進化に取り込んでいくか。」(全文のアドレスhttp://diamond.jp/articles/-/11111